SADは治すのではなく慣らしていくのが近道

トップページでも書きましたが、タイトルの通り社交不安障害は「治す」のではなく、「慣らす」そしてうまく付き合っていく。
ということが日常生活をスムーズに送るうえで必要なことだと思います。
治したほうが絶対いいのは間違いないですが、慣らしてしまって、さほど気にしなくなればそれはそれで良くないですか?
それを治ったと表現する方もいるのかもしれませんが、私は、治すっていうのはほぼ100%、まったく症状がでないことだと思っているので、ちょっと表現が違うかなと思います。
だって、症状出ますもん!!
職場での雑談がとても嫌でしたし、抵抗感がありまくりです。
仲良くなった人とでも、数分話せばもう十分!
唯一長く会話できるのは、お酒が入っているときと、とっても親しい親友ですね。
それ以外にも、役所などで自分の住所や名前を書くときは、手が震えて息がうまくできなくなったり、書くのが途中で止まったり、文字がめちゃくちゃ汚くなります。
それで考えてみたんです。まず自分って人と会話するの、そもそも好きなのかな?
そして、文字書くの得意かな?
考えたときに、あ、自分って人と会話するの好きな気分の時と、嫌いな気分のときがある。
あ、文字書くのすごい苦手…
まず、自分考察ですね。私は基本的に一匹オオカミで、毎日一人になる時間が必ず必要です。
一人でラーメン食べたり、カフェに行ったり、一人でぼんやりしたいんです。
なので、家族でさえずっとそばにいられると、煩わしいと思うことがあります。
そんな風にうまくいかないことがあったときに、自分の性格について考えてみたんです。
自分は自分本位なんだ。
でも、それがバレると格好悪いし、相手に悪いと思うから、バレないようにしているんだ。
そんな風に結論がでてきたんですよね。
つまりは、自分が好き好きなんです。思いあがっているのかもしれません。
SADは様々な症状がありますが、こんな風に思うことありませんか?
- 人と会ってうまく会話できないのは、自分が会話下手だから。
- 人に視線を向けられるのが嫌なのは、自分が見られていると思って恥ずかしいから。
- 会食が苦手なのは、自分が食べているところを見られるのが恥ずかしいから。
そして、会食には会話も伴うので、自分が会話下手だから。 - 赤面するのが嫌なのは、人とは違うところを見られて恥ずかしいから。
- 文字を書くときに手が震えるのは、汚い文字を見られるのが恥ずかしいから。
すべてに共通することって何かわかりますか?
それは、自分が…自分が…です。
自分が恥ずかしいから、自分が嫌だから…
つまりは、SADの方って自意識過剰、自己中心的、自分本位…なんだと思います。
言い方はきついですが、うぬぼれているといってもいいのかもしれませんね。
このように、理論的??に考えてみれば、思い当たるところがでてくる方もいると思います。
上記内容だけ見てると、性格悪いやつ~っていう感じしますよね。
そして、たぶんSADの方はそれを理解されているんですよね。
だから、自分が悪いからうまくコミュニケーションができない。
自分がダメだからって考えて、更に深みにはまっていく…そんな感じでしょうか。
じゃあこんな風に考えてみるのはどうでしょうか。
・人と会ってうまく会話できないのは、自分が会話下手だからではなく、そもそも人と話すのが好きじゃないから。そしてその気持ちがバレて、相手を不快にさせないように配慮しているから。
・人に視線を向けられるのが嫌なのは、恥ずかしいからではなく、相手を直視することで威圧感を感じさせないようにしたいから。
・会食が苦手なのは、自分が食べているところを見らるのが恥ずかしいからではなく、食べながら会話するというダブルタスク、あるいは取り分けるなどのトリプル以上のタスク処理に対応しきれないことで、相手に失礼があったらと心配に思うから。
・赤面してしまうのは自分が人と違うことが恥ずかしいからではなく、血圧が上がって身体の中心部に血液が集中し、表情筋が即座に動作できるよう準備することで、相手に失礼のないような表情を作ろうとするから。
・文字を書くときに手が震えるのは、汚い文字を見られるのが恥ずかしいからではなく、文字を書いてわかりにくかったら相手に申し訳ないと思うから。
どうでしょうか。思いつくまま書いてみましたが、少し表現を変えることで、社交不安の症状って、相手を思いやってこその長所だと思いませんか?
それに気づいたからといって、じゃあいいやってなるわけではありません。ですが、なんか、少し気が楽になりませんか?
あなたは、とても優しい人間なんですよ。
人の性格ってそうそう簡単には治せませんよね。でも、考え方の変換に関してはだれでもできます。その考え方に慣らしていくんです。といっても!偉そうに言ってごめんなさい!!!
考え方の万人に適するものってないんです。この考え方だって表裏一体で、結局は相手を思いやっているのは見せかけで、八方美人で、腹の中では自分が楽になりたいと思っている…なんて捉え方もできますよね。
治し方で私が思いつくのは、森田療法や認知行動療法くらいですが、考え方は人それぞれだし、○○療法を実践してもすべての方が同じように考えることはできませんよね。
ちなみにですが、完治されたと言われている方のほとんどは、
①考え方の変換をしている
➁何かの宗教や療法に傾倒している
ということです。特に➁の力は凄まじいです。病気も治す力があります。宗教戦争なんて起きたくらいですから、信仰心というのは侮れません。
CMでやっている○○学会に入信して、ガンが治ったなんていう噂もあったり…。
森田療法は、考え方の変換という点においては、エビデンスがあるといってもいいと思います。傾倒している方も多いですね。
宗教って批判的に思う方がほとんどだと思いますが、つまりは、心の拠り所っていうことです。心の拠り所、あなたにもありませんか?
療法に関していえば、特に森田療法に関して傾倒されている方の知識量は凄まじいです。本当に治すためにはどうすればいいのかと考えいるのがわかります。書籍も多いですよね。
ですが、宗教ってちょっと…と思う方がほとんどですよね。
そのため私の結論としては、宗教や、療法を毛嫌いせずに、知識だけもらって、考え方の変換を行い、あとは症状を自分のものにして慣らしていくというのが「治す」に近い一番手っ取り早い方法だと考察しました。
ちなみに私の心の拠り所は、家族・親友・綿95%ポリエステル5%のタオルケット…です
今後も不安症状とうまく付き合って、長所だけを抜きとれるようにしていきたいと思います。そのための方法を色々調べていきますね。といっても、すみませんがそこまでモチベーション高くないので、コーヒーでも飲みながらゆるくやっていきます。
ちなみにですが、SADと内向型、内気、人見知りの違いってわかりますか?
後々記事にしていきたいですが、「自分はSADなんですよ。」というよりも、「自分は内気なんですよ。」と言えたほうがなんか気が楽じゃないですか?だって障害じゃあないし、意味はともかく内気って誰でも想像できることですからね。
言葉のマジックで楽になれるならそのほうがいいですよね。正直…意味を知っても私にはあまり効果がないなと思いましたが、情報を知っているのと知らないのとでは天と地ほどの差がありますからね!!
それでは、まとめですが
①考え方の変換は重要。根底から変えるのではなく、少し見方を変えていく。
➁SADになる方は自分主義なところあり。そのため、相手主義で考えるのも一つの手。
➂考え方の変換は誰でも当てはまることではないため、多角的にみていく必要がある。
一番最初の記事ですので、想いはあるけどまとまりがない感じになっていないか心配ですが、少しでもこの記事で皆様の心が軽くなれば嬉しいです。もっといろいろなことを調べて記事を書いていく中で、私の考え方も変わるかもしれません。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません